他人から何気なく発せられた言葉にモヤモヤしたり、軽く苛立ったり、少し傷ついた人への処方箋。
(必要があれば)今日からすぐに使える、割と汎用性の高いパワーワードを紹介します。
それがこちら。
パワーワード(パワーフレーズ)
「何か問題でも?」
(きょとん顔)
嫌な気持ちになることを言ってくる人ってそうそういないかもしれませんが、他人の何気ない言葉が引っかかって、なんだかモヤモヤしたことはありませんか?
他人の何気ない言葉って、大抵は全然悪意のないものだったりするので、全く気にする必要ありません。
気分を害する必要もないし、言い返したりする必要もないと思います。
たまたま社会通念やその人の環境・性格などからくる価値観や尺度で、
「こういうのが普通」
「こういうのが幸せ」
「こういうのが正しい」
「こういうのがすごい」
みたいに思っていることが、ぽろっと出ただけのことだと思います。
ごく稀に悪気があって嫌なことを言ってくる人がいるかもしれませんが、仮にそうだとしても、全く影響を受ける必要はありません。
でも、気にする必要がないとわかっていても、何となくモヤモヤしたり、自分が軽く苛立ったり少し傷ついていたことに気付いたり…
そんな経験をしたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そんな時にいつでも今すぐにでも使えて、心がすっきり軽くなる効果的なフレーズなので、参考にしてみてください。
パワーワード
「何か問題でも?」(きょとん顔)
効能
- 他人の言葉や目に見えない社会通念からくる「心のモヤモヤ」が消える
- 他人の言葉や目に見えない社会通念からくる「軽い苛立ち」が消える
- 他人の言葉や目に見えない社会通念からくる「少し傷ついた心」が綺麗に修復される
- その結果、心がすっきり軽くなり、エネルギーがみなぎってくる
- 使用を続けていると、「他人の言葉や社会通念に影響されなくなる」
- 使用を続けていると、「他人の価値観や尺度で生きることから解放される」
用法・用量
以下のような時にはいつでも、1回「何か問題でも?」というフレーズをお使いください。
- 「他人の悪気のない何気ない言葉」に、モヤモヤ・軽い苛立ち・心に若干の傷を覚えた時
- 「他人の意地悪な言葉・悪意のある言葉」に、モヤモヤ・軽い苛立ち・心に若干の傷を覚えた時
- 「他人の社会通念まみれの言葉」に、モヤモヤ・軽い苛立ち・心に若干の傷を覚えた時
相手に面と向かって使用することにかえってストレスを感じる方は、無理をせず、声に出さずに心の中で使用してください。
相手がいるその場で声に出して応答する際に、不快感をあらわにした表情やぶっきらぼうな口調でこのフレーズを使用すると、ケンカを売っているかのように受け取られる可能性があるため、ご注意ください。
声に出して相手に応答する際には、必ず「きょとん顔」を忘れないようにしてください。
「きょとん顔」を伴うことで、「素朴な疑問」感を出すことができます。
「きょとん顔」をすることで、すでに不快感・苛立ちも消え失せ、トゲがなく「え、何か問題でも?」と発することができます。
フレーズのバリエーション
- 「何か問題でも?」
- 「それが何か?」
- 「え、だからどうしたの?」
- 「で、それがどうかした?」
- 「何か嫌なことでもあった?」
使用例・シーン別の使い方
言われることがありそうな「他人の言葉」を例として挙げてみます。
起業っていうから、年商億単位とかかと思ったら、
それしか稼いでないんだ?
そうですが、何か問題でも?
意識的にせよ無意識にせよ、「稼ぎの多さでマウントをとる・とられる」って結構ありがちかもしれませんね。
多くの人が気付かないうちに、資本主義社会・物質世界の価値観に汚染されています。
そんなあからさまに嫌な感じのことや下世話なことを面と向かって言ってくる人はあまり出会ったことはないのですが、そういう人がいたら(心の中で)使えるフレーズです。
へぇー会社やってるんだ…
一人会社ってフリーランスみたいな感じでしょ?
フリーランスって不安定だし平均年収数百万円っていうし、
結婚も難しいだろうし可哀想だね…
そうだとしたら、それが何か?
私が言われた訳ではないのですが、「フリーランスは不安定」とか「そんなに稼げている人がいない」っていうイメージを持っている人も結構いるみたいですね。
フリーランスとして案件を受けるだけだと、自分のスキルや稼働時間の対価として報酬をいただく契約なので、忙しくて時間の余裕がなくなりがちだったり、あるいは仕事がない時は収入が途切れたりと、実際に不自由さ・不安定さを経験している人も多いと思います。
そうではなくて、自分のビジネス収入の柱を育てて増やしていくと、継続的な「安定・自由・高収入」を実現し、お金の余裕・時間の余裕・心の余裕を手に入れることができます。
自分がいかに 「安定・自由・高収入」 を実現していて、全然困っていないどころか最高に幸せだとかということを、相手に伝える必要はないですよね。こんな時にも (心の中で)使えるフレーズです。
余談ですが、「可哀想」って発せられる言葉。
あくまで個人的にですが、あまり好きではないですね。
(すべてがそうではないのですが)同情し相手を思いやるようでいて、実は(無意識に)相手を見下しているか、自分の方が優位にあると感じている人が発する場合があります。
個人的には、なるべく「可哀想」という言葉は使わないようにしていますし、使う時は、自分にそういう気持ちがないか、そういう気持ちから出る言葉ではないか、気をつけています。
へぇ…その歳でまだ結婚してないの?
男は結婚して家庭を持って、マイホームを建てて一人前だからねぇ…
結婚も子供もマイホームも未定ですが、
何か問題でも?
人には様々な事情や思いがあり、それぞれのタイミング、色々な人生設計、色々な生き方があります。
一人として全く同じ人生なんてない。多様な生き方があっていいと思います。
補足:なぜ「きょとん顔」が大切なのか?
パワーワードの効果・効能を最大限に高めるため
声を発するか心の中で言うかにかかわらず、このフレーズを使う時には「きょとん顔」を意識しましょう。
「きょとん顔」が大切な理由、それは「このパワーワードの効果・効能を最大限に高めるため」です。
まず、それがダメという訳ではないのですが、もし不快感や怒りの感情を乗せて「何か問題でも?」というフレーズを使っても、効果・効能が半減すると思います。
なぜなら、 自分では(無意識に)「何か問題がある」と思っていることの表れだからです。
「何か問題があろうか?いや、ない(反語)」という意味なのに、それと裏腹に、実際には「問題がある」「実は気にしていることだ」「図星だ」ということです。
だからといって、感情を無理に抑圧するというのは、本当の解決にならないと思います。
そこで、「きょとん顔」を伴ってこのフレーズを使うと、一瞬湧きかけた不快感・苛立ちが自然と消えます。
人によって体感・感覚は異なるかもしれませんが、不快感・苛立ちを無理に押し殺すという感じではないです。
「きょとん顔」を伴うことで、本心から、本当に素朴な疑問で、「何か問題でも?(何も問題ありませんけど)」と言える、そしてそういう気持ちになれます。
効果覿面です。モヤモヤしたり軽い苛立ちが持続することはありません。
そして、このフレーズを必要な時に使っていると、根本的にそういうマインド・思考法になっていきます。
例えば、繊細で傷つきやすい人も、もはや他人の言葉に影響されない人になっていくと思います。
顔・表情を意識しなくても、ただただ本心の素朴な「何か問題でも?」が自然と生まれます。
お互いに嫌な気持ちにならないように
例えば、あなたが誰か他人の言葉に気分を害したとします。
明らかに不愉快だという顔、イラッとした顔、眉間にしわを寄せたような顔で、「何か問題でも?」と言うと、おそらく誰でも怒気や言葉のトゲを感じますね。
仮にそうすると、今度は相手も嫌な気分になってしまい、お互いにハッピーではない状態になってしまいます。
相手の言葉に対して反応し、不快感や苛立ちで返すことになります。
そもそも相手は悪気や悪意はないことがほとんどですし、怒って言い返したり反撃する必要なんてないと思います。
そんな気にする必要のないことで、そんな風になってしまっても、楽しくないし面白くないし何だか残念ですよね。
「表情・身体」と「感情・心」は相互に影響する
一方、「きょとん顔」で言うのはどうか。
声に出すにせよ心の中で使うにせよ、「きょとん顔」だとトゲトゲしくなりません(少なくとも、なりにくい)。
相手もトゲを感じにくいし、言っている本人も、苛立ちや不快感を思い切り感じて言っている感覚にならないと思います。
「背中を丸めて、下を向いて、口角を下げた表情で歩いていると、本当に気分が塞ぎ込んでくる」
「背筋を伸ばして胸を張り、前を向いて、口角を上げた表情で歩いていると、前向きな気持ちになってくる(とても陰鬱な気持ちになんてなれない)」
というような話を聞いたことはありませんか?
表情も含め、身体と感情(心)は相互に影響します。
だから、顔・表情が大切です。
「どういう感情を乗せて、そのフレーズを発するのか(心の中で言うのか)」ということにつながります。
とは言え、一瞬であっても不快感を感じた言葉に対して、笑顔で「何か問題でも?」というのもちょっと怖くないですか?
不自然というか。
笑顔で言いたい人は、笑顔で言って頂いても(たぶん)大丈夫です。
それから、「きょとん顔」を詳しく説明すると、
え、この人にも誰にも迷惑かけてないし、自分も幸せだから、全然問題ないんだけど
そんなこと言われる筋合いがないのだけど、なぜそんなことを言われるのか分からないな
という気持ちから、「きょとん顔」に至るイメージです。
この感覚で「何か問題でも?」「それが何か?」を使えれば、社会通念や他人の価値観・尺度からくる言葉にモヤモヤしたり、軽く苛立ったり、少し傷ついたりするということはありません。大丈夫です。
あなたにとって最高の生き方になるよう最適化。本当に生きたい人生を生きる。
誰かの価値観・尺度はスルーしましょう。
社会通念や誰かの価値観・尺度に知らず知らず影響されてしまうと、「自分自身が本当に、最高に幸せだと思える人生・生き方」にたどり着くまでにものすごく遠回りをしてしまうことがあります。
それどころか、たどり着けない人も多いのではないかと思います。
私の場合は、毎年右肩上がりで売上・年収を伸ばしていくことにとらわれていた時期がかつてありました。
今は他人がどう思うか関係なく、売上・年収、働く時間・休みの時間、その他色々と「自分にとって最高の生き方・生活」になるよう自分用にチューニングしています。
社会通念、他人の価値観、人目を気にするのではなく、自分自身にとって最適な選択・意思決定をしていき、生き生きと毎日楽しみましょう。